今日ものんびりと 幸福
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考えないというのは幸福なのか

はいさい!温泉卵を作ったら黄身が固まっていたツバサさー。
でもあれは……、嫌いじゃないわ(´・ω・`)フフフ
ホタルノニッキ ミオン 今日ものんびりと 2015/08/10
チャプター1のボスを色塗りー。
それにしても、こんなのが追い掛けてくるんだから、
ミオンちゃんも相当に怖かったんだろうなー(・ω・`)
捕まったら殺されるしね(´・ω・`)

Amazonで「自殺」って打ち込んで調べたら、
自殺の書籍だけじゃなくて、ロープとか練炭とか出てくるのね。
ロープのレビューで自殺を仄めかすような事を書いている人が何人もいたけど、
そういうレビューがあるから、「自殺」というキーワードで検索された時に出るようになったのかな。
そういえば、自分が用意したものって洗濯物用のロープだけど、
普通のロープも買っておいた方がいいんだろうか。
強度的には変わらないなら必要ないんだろうけど。

さて、Amazonの話題から入ったけど、
今回のお話は「考えないというのは幸福なのか」ね。

毎回書いている気がするけど、夏期休暇とかゴールデンウィークみたいな長期連休って、
普段よりも考える時間があるから、そこで僕は考えてしまうのだけれど、
もし「考えない」という事が出来たら幸せなのかとね。
ああ、でも自殺自体を否定する為の記事ではないという事は理解してもらいたいかな。
あくまで独り言のようなものだからね。

方法は、そう例えば別の事に意識を向けられたとしよう。
あくまで仮定としてだから、向けられたという仮定で読んで欲しい。
その意識が向けられている間は「自殺」については考えていないとしよう。
考えないというのが、それが長く続くものではないとしても、
少しの間、例えばほんの5分であっても、これは幸せと言えるだろうか?

その個人が「少しでも忘れていたい」と思っているなら、
一つの幸福ではあるだろうけど、根本的な解決にはなっていない訳で、
あくまで「少しでも忘れられる」という事に重きを置くか、
或いは「解決しなければ無意味」という事に重きを置くかという事ではあるんだろうけど、
もし「少しでも忘れたい」と思っているのなら、
例え短い時間であっても忘れられるというの幸せの一種ではあると思う。

さてと、例として「少しでも忘れられる」と、
解決しなければ無意味」という二つの例を挙げてみたけど、
どちらに重きを置くかと考えると自分は後者だ。
例え一時でも忘れるというのも、
死にたいというのが楽しい時間に置き換わるというのも決して悪い事ではない。
でも、「解決しなければ無意味」という方に重きを置いているんだろう。
僕が本当に解決したいと思っているのかは疑問ではあるが。

そんな感じ(´・ω・`)
読んで頂きありがとうございました!

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幸せは不幸との比率で幸せではなくなる

はいさい!無気力の様な気力があるようなツバサさー。
微妙(´・ω・`)ビミョーン
フィノ・ブラッドストーン 今日ものんびりと 2015/06/07
も~しもし未来はどこですか~♪
今日からまた新しい絵になるんやよ、フィノちゃんやよ(´・ω・`)
黒目の部分はもっと上にしても良いかもしれぬ、まあ、まだ下描きだからいいのだれど。

”生きていればいい事がある”とそんな言葉をよく耳にする。
僕はこの言葉は好きではないのだけれど、確かに言っている事は間違ってはいないと思う。
でも、いい事があって幸せな事があったと仮定して、
それが不幸との比率で比べてみた時に、
幸せが不幸よりも勝っていなければ幸せとは言えないのではないだろうか。

ゲームの様に誰にでも見えるパラメーターとして比率が見られる訳ではないので、
個人の感覚に頼らざるを得ないけど、その感覚で不幸が勝っていると思えないのなら、
それが本当に幸せな状態と言えるのかには懐疑的なんだよね。
例えは、100%の内90%が不幸だとして、残り10%が幸せだとすると、
比率としては不幸が勝っている訳だけど、
比率として幸せが負けている状態を真の幸せと言っていいのか疑問が残る。

勿論、90%の不幸であっても、残り10%の幸せがあればいい。
少しでも幸せと感じるなら満足だ。
そんな風に思う人もいると思うけど、そう思えるならそれはいいと思う。
この比率の話も所詮は個人がどう感じているかに重きを置かざるを得ないのだから、
価値観でどうとでもなってしまう程度だから、その価値観は大事にすべきだと思うよ。

さて、一つのいい出来事で不幸を覆すのは難しいと思うし、
余程大きな事ではないと無理だと思うけど、
だからこそ、人生は幸、不幸の比率が焦点になると思うんだ。
不幸の比率が90%なら間違えなく不幸だと思うんだけど、
だからこそ、不幸だと思うのならたった一つのいい事よりも、
比率を幸せが多くなるようにした方が、その人の全体的な幸福の向上に繋がると思うんだよね。

勿論、自分のさじ加減で幸、不幸を操るのは無理だし、
どんなに頑張っても不幸はやってくる、逆もまた然りで頑張らなくても幸せがやって来る時もある。
どちらかに近付ける事は出来ても、結果だけは自分ではどうしようもないというのが本質だと思うけど、
大事にするのなら、一つの幸福よりも継続的幸福を重要視すべきだと思ったよ。

幸福の黄色いハンカチ(´・ω・`)ノシ~~
読んで頂きありがとうございました!

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大多数の幸福とは何か

はいさい!ちらほら蚊を見掛けるようになったツバサさー。
家政婦は見た|ω・´)チラッ
のん美ちゃん 水着姿 今日ものんびりと 2015/05/26
お空ー、お空ーヽ(・ω・)ノ
お空でどれぐらいの時間がかかるかしら。
理想の空ってなんなのか今一度自分に問いかけてみたけど、
何も答えてくれなかったでござる(-人-)

大多数の幸福とは何か。
国家がある事を前提に政治というものは行われているけど、
その国家の中には国家を構成するものとして市民が大多数を占めている。
その市民をより多く幸福にするにはどのような手段を用いるべきか。

そもそも幸福の定義とはいったい何なのだろうか。
自分が考えるに生活の最低限のラインとして『食の確保』、
及び『衣服住の確保』は厳守すべき前提条件として考えるが、
これ等の最低限を確保しておく事こそが一つの幸福の定義や指標となると思っている。

幸福とはそこに最初から用意されているべきものが揃っている状態なのか、
それとも、また別に追い求めるべきものなのかここでは追求しないが、
最低限の確保は幸福を語る上では避けて通れない話だと思う。

さて、大多数の幸福とは何かというのが今回のテーマではあるけども、
大多数の幸福をどうやって決めていくべきだろうか。
あくまで『全員を幸福する手段』ではなく、
『不特定多数が幸福になるであろう手段や行為』である事を記しておきたい。

個人一人ひとりに意見を聞いて回るというのも不可能ではないかもしれないが、
どこからが市民で、例えばこの国は日本であるが、
日本人や帰化した人間だけを対象とすべきなのか、
それとも一時的であれ住んでいる人間も含めるべきなのか、
それはまた別の問題であるからここでは個人に聞いて回るという手段については追及しない。

国家構成員全員が幸福になる政策や手段があるのかは別として、
どんな方法でなら市民の幸福度を上げる事が出来るだろうか。
一人ひとり求めているものが違うが、まずは教育機関の充実は幸福の向上に繋がらないだろうか。

人生において学ぶ事が何よりも大事だとは言えないが、
勉学に励む事で自らの可能性を広げる、
可能性の広がり如何によっては望む進路や就職先に進む可能性も増え、
全員が望む通りに行かずとも、望む場所への到達は幸福感を増やせるのではないか。

金銭面的な理由や様々な理由で進学を諦める事も多いが、
そういった人も含めて、教育方面を充実させ、優秀な人材を育成する事が出来るのならば、
国家にとっても十分な利益であるし、幸福に伴う利益があるのなら納得もし易いのではないか。

さて、ここでは望む進路や進学先に進める事が幸福度の向上に繋がるのではないかと書いたが、
勿論、望み通りになるからといって幸福になる人間ばかりではないというのも事実であると思う。
例えば勉強であっても得手不得手というのは存在すると思っているし、
可能性を広げられるというのは美点であるが、
これだけでは完全に実力主義の競争を前提としたものになってしまう。

もし自分がその競争に敗れた場合はどうか。
政策でいくら教育方面に力を入れても、全員が望んだ場所へ行ける訳ではないし、
どこかで妥協しなければいけない場面は出て来るはずだ。
だが、妥協してもどうにもならない、その妥協が成果に結び付かないという可能性もまたあるだろう。
上記で書いた通り、勉強に得手不得手があると思っているから、
努力はするとしても全員が勉学で結果を出せるかといえば、
僕は出せると自信を持って言う事は出来ない。

だからこそ、教育方面の充実に加え、勉強という手段以外でも、
例えば技術の取得を目的とした学校教育も取り入れるべきではないだろうか。
日本では義務教育として小学校で6年、中学校で3年と学校生活を過ごす訳であるが、
例えばドイツのように初等教育が4学年になった時点で、次の中等教育をどうすべきか考え、
実際に選択して、職業訓練を目的とするか、大学進学を目的とするか、
進みたい進路を選ぶ事が出来るが、勉学一辺倒よりも、
こうした本人に合わせた勉学だけに拘らずに、
技術を付けられる様な職業訓練学校があってもいいのではないかと思う。

日本にも職業訓練校というものはあるが、
もっと早い段階でそちらに進む道を作るというのも、また幸福度の向上に繋がるのではないか。
勉強は苦手、でも技術があるから食べてはいける、
そういう安心感をもたらすのも一つの幸福の在り方だと思うのだがどうだろうか。
決して努力を否定するものではないし、それが実を結ぶのは大変素晴らしい事ではあるが、
可能性を広げるという意味では、勉学だけよりも実際の就職に結びつくシステムの構築というのも、
また安心感を増やしていけるとそう考えている。

幸福とか何か。
読んで頂きありがとうございました!

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[ 2015/05/26 23:34 ] 日常の出来事・日記・雑記 | TB(0) | CM(-)
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